HISTORY
アフラックの歴史
日本初のがん保険とともに歩み始めたアフラックは、創業の想いを受け継ぎながら「生きる」を創るリーディングカンパニーを目指し、成長を続けてきました。アフラックの誕生から、現在に至るまでの歩みを紹介します。
1955-
アフラックの誕生秘話
アフラックは1955年11月17日エイモス家の3兄弟によって、米国でスタートしました。厳しい競争の中で倒産の危機に瀕しながら、世界初のがん保険を開発。その後父親ががんで他界し、肉親の愛情をもってしてもがんを克服できない現実のなかで、少しでもその悲しみを和らげようと、がん保険に特化していくことになりました。
1974-
日本社*の誕生と、
日本初の<がん保険>発売
日本初の<がん保険>発売
日本社*が誕生し、日本初の<がん保険>を発売。
1981年には、脳卒中を抜いてがんが日本人死因のトップになったことで、がんに対する経済的な備えへの関心も高まり、当初の予測をはるかに超えるスピードで<がん保険>も広く知られるようになりました。
*American Family Life Assurance Company of Columbus (Aflac)の日本支店
1981年には、脳卒中を抜いてがんが日本人死因のトップになったことで、がんに対する経済的な備えへの関心も高まり、当初の予測をはるかに超えるスピードで<がん保険>も広く知られるようになりました。
*American Family Life Assurance Company of Columbus (Aflac)の日本支店
1985-
時代の先を読む経営
日本では遺された家族の生活保障を目的とした生命保険が主流でしたが、お客様自身が“生きるための保険”に特化した独自路線を歩みました。また、介護問題の到来を予見した商品の発売や、お約束した保険契約を確実に守るために安全性の高い資産運用を行うなど、当時の運用方針は現在のアフラックの健全な財務内容を築く礎となっています。
1995-
お客様本位の経営姿勢を堅持
バブル経済の崩壊後、さまざまな規制緩和策が打ち出されましたが、銀行、証券、保険会社などの経営破綻が相次ぎ、金融不安が広がりました。また、サラリーマンの医療費自己負担割合の段階的な引き上げや平均寿命の伸長を背景に、アフラックはお客様本位の経営姿勢を重視し、商品ラインアップをさらに強化していきました。
2005-
お客様にもっとも選ばれる
生命保険会社を目指して
生命保険会社を目指して
多様化するお客様ニーズの変化に的確に対応した多くの商品を提供しました。保険商品の多様化・複雑化に加え、一人ひとりに合った最適な保障の相談が出来る来店型店舗を展開し、常にお客様視点に立ち、もっとも選ばれる保険会社を目指し続けました。
2018-
「生きる」を創る
リーディングカンパニーへの飛躍
リーディングカンパニーへの飛躍
2024年に迎える創業50周年に向けて策定した「Aflac VISION2024」において、「生きるための保険」のリーディングカンパニーから「生きる」を創るリーディングカンパニーへの飛躍を掲げました。このビジョンのもと、当社はイノベーションを起こし、変化をリードする存在となるべく、保険商品に留まらずにお客様をトータルにサポートすることを目指します。
アフラックのDNA
私たちは「がんによる経済的苦難から人々を救いたい」という想いで創業し、現在でもその想いで価値を提供し続けています。いつの時代も常にお客様の視点で考え、柔軟かつ機動的な意思決定で、多様化するニーズにお応えしてきました。これからも、時代や世の中の変化をチャンスと捉え、新しい価値を創出し続けます。
1955
エイモス家3兄弟(左からポール、ジョン、ウィリアム)
1955年11月17日、アフラックは、ウィリアム、ジョン、ポールのエイモス家の3兄弟によって、米国ジョージア州の小さな都市コロンバスからスタートしました。創業当時は、小口の生命保険を訪問販売していましたが、激しい競争のなか、何度も倒産の危機に瀕しました。
1958
1958年に世界で初めて<がん保険>を開発
給付金の用途を限定せず、治療費や通院のための宿泊費などがん治療にともなう経済的負担を保障するこの商品は、当時としても大変画期的なものでしたが、発売からしばらくは、消費者の関心はさほど高くはありませんでした。
1974
日本での事業認可取得を米国本社年次総会で発表する大竹美喜(左)とジョン B.エイモス(右から二人目)
当初、<がん保険>は前例のない保険商品であったことから、主務官庁である大蔵省(当時)だけでなく、厚生省(当時)からも承認を得なければならず、事業認可取得の道のりは困難を極めました。時を要すること4年――1974年10月1日、大蔵省より事業免許が交付され、ついに認可を取得しました。
1974
<がん保険>最初のパンフレット
1974年11月15日、アフラックは日本初の<がん保険>を発売し、日本での営業を開始しました。「がんによる経済的苦難から人々を救いたい」
その想いだけで未知の分野への挑戦のために集まったのは、元鉄鋼マン、自衛隊出身者など生命保険業界の未経験者ばかり。まさにベンチャー企業としてのスタートでした。
1984
日本の生命保険営業は、営業職員と呼ばれる女性を中心とした販売チャネルが主流でしたが、アフラックは自社の営業職員を抱えない代理店制度を採用しました。時代はオイルショックによる不況の真っ只中。しかし多くの企業が、収益多角化のために、グループ会社として保険代理店を立ち上げるなか、アフラックは創業当初から銀行、新聞社、テレビ局、電力会社などの大企業を中心とした企業系列の代理店を得ることで、強固な販売網と顧客基盤を築くことができました。
創業10年目には、代理店数は2,000店を超えるまでに広がり、<がん保険>の世帯普及率(保有契約口数/全国世帯数)も10%に達しました。
創業10年目には、代理店数は2,000店を超えるまでに広がり、<がん保険>の世帯普及率(保有契約口数/全国世帯数)も10%に達しました。
1985
<痴ほう介護保険>発売時のパンフレット
創業から丸10年を経た1985年には、<痴ほう介護保険>と<医療保険>を相次いで発売しました。特に介護問題の到来をいち早く予見し、世界に先駆けて開発した<痴ほう介護保険>は、当時まだ発症率など認知症に関するデータがほとんどないなか、地方自治体や海外のデータを精緻に検証しながら開発したもので、同年、保険商品としては初めて「日経・年間優秀製品賞」において最優秀賞を受賞しました。
1990
がん保険においても、この分野のパイオニアとして不断の商品改良を重ね、1990年、がんと診断された時点で一時金を支払う「診断給付金」と通院治療をカバーする「通院給付金」を新たに加えて保障内容を大きく充実させた<スーパーがん保険>を発売しました。
1992
1992年には<がん保険>の保有契約件数が1,000万件を突破し、世帯普及率(保有契約件数/全国世帯数)も25%にまで拡大しました。保有契約件数の拡大にともなって、地域に根ざしたきめ細かなお客様サービスに向けた社内体制の強化にも取り組みました。
1994
1994年には、東京都調布市に初めての自社ビル「アフラックスクエア」を完成させ、本社部門およびコンピュータセンター等を統合、業務効率を格段に向上させました。
2000
第一生命との業務提携 調印式(左からエイモスCEO、第一生命森田社長(当時)、松井社長(当時))
2000年には、第一生命保険相互会社(当時)との業務提携を発表。がん保険や医療保険などの第三分野市場の完全自由化を目前に控えるなか、アフラックは日米生保の初の強力なパートナーシップを結成しました。
2000
2000年、米国では「家族」や「親しみ」を表わし、また"Aflac"の発音がアヒルの鳴き声"Quack"(クワック)に近いことからコーポレートキャラクターとして「アフラックダック」を起用。アフラックダックを使ったテレビCMによって、全米での社名認知度は約10%から90%以上へと大きく向上しました。
2012
保険商品の多様化・複雑化に加え、インターネットの普及によって保険に関する情報が氾濫するなか、自分に合った最適な保障について気軽に相談したいとのニーズが増えてきました。
そこで、2012年10月には、来店型店舗「よくわかる!ほけん案内」を大都市圏を中心に開設し、初めて保険のことを考えるお客様にもわかりやすいコンサルティングを開始しました。
そこで、2012年10月には、来店型店舗「よくわかる!ほけん案内」を大都市圏を中心に開設し、初めて保険のことを考えるお客様にもわかりやすいコンサルティングを開始しました。
2018
アフラックは、お客様やビジネスパートナーをはじめとするステークホルダーの期待に応え、これまで以上に日本社会に根差してさらなる共有価値を創造していくために、2018年4月、米国生命保険会社の支店から日本法人「アフラック生命保険株式会社」として新たなスタートを切りました。
2018
最新のデジタル技術と金融を融合させたフィンテックの活用及び企業価値の向上につながる新規事業の推進をさらに加速させるための拠点として「アフラック・イノベーション・ラボ」を2018年8月に開設しました。
2019
変化の激しさをビジネスチャンスと捉え、変化のスピードに合わせた価値を創出するために、さまざまな業務においてアジャイル型での働き方の実践を開始しました。
そして、アジャイル型での働き方を推進するための拠点として「Aflac Agile Base」を開設し、こうした取り組みをより加速させる態勢も整えました。
そして、アジャイル型での働き方を推進するための拠点として「Aflac Agile Base」を開設し、こうした取り組みをより加速させる態勢も整えました。